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イエスの風 No,65

 まるで嵐の中に閉じ込められた船に乗っているようです…。船室に閉じ込められ、外に出られず、響く嵐の音に怯えているかのようです。死が身近なものだと言うことを実感させられます。しかし、同時に神が身近に居られることも感じるのです。どうかこの状況の中、私たちに耐え抜く力、そして本当に大切なことに目覚める勇気、たとえどんな状況に導かれようとも神に信頼する心が与えられますように。これを読む人に愛が伝わりますように。もう一度、主の新しい戒めに立ち返り、互いに愛し合いましょう。

ヨハネによる福音11章1~16節「神の子が栄光を受けるために」


 今、私たちは、大きな苦しみの中に置かれている。世界中が悲痛な叫びを上げている。恐れが私たちを呑み込もうとしている…。いつこの苦しみが去るのか分からない。時折、死が物陰から顔を出し、恐怖に駆り立て、神を忘れさせる。「主は、一体何処で、何をしておられるのか。この状況を見て、何とも思われないのか…」主を信じる私たちは、つぶやく。また、主を仰ぎ祈る。「主よ。私たちに罪を赦し、私たちをあわれみ、救い出して下さい…」

「主よ、あなたの愛しておられる者が病気です。」緊急の知らせ。主イエスが愛する家族の一人が死にかけていて、助けを求めた。「主よ。急いで来て、病を癒し、兄弟を死から救って下さい。」しかし、主イエスはすぐに立ち上がらない…。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるためのものである。」(4)と言い、動こうとしなかった。福音書記者は、その様子を振り返り記す。「イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。」この言葉に私たちは戸惑う…。愛しているなら、すぐに出かけて行き、病を癒さないのか…。どうして愛する者たちを苦しみの中に留め、死に向かわせるのか…。愛する者、ラザロは癒されず、死んだ。「時遅し、全てが終わった…。主イエスの出番はなくなった。」誰もがそう思う。「何をやっても無駄。希望の灯は消えた。いのちの敗北。死の勝利…。」

 「もう一度、ユダヤに行こう。…わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く。」(7、11)全てが終わった、死が勝利したと見えるその時、主イエスは立ち上がる。「行こう…」主イエスは、いのちを捨てる覚悟をして立ち上がる。主イエスは、知っていた。ラザロの所へ行き、彼をよみがえらせる時、ご自分が死を迎えなければならなくなることを。「神の栄光のため。神の子がそれによって栄光を受けるため。」(4)「神の子が栄光を受ける…」それは、十字架の死。主イエスは、十字架につけられて死ぬ…。それを「神の子が栄光を受ける」と言われた。

 主イエスは、十字架の死を覚悟した。それは、「友のためにいのちを捨てる」覚悟。神の子が栄光を受けるとは「友のためにいのちを捨てる」こと。「友のために自分のいのちを捨てる、これ以上に大きな愛はない…」(ヨハネ15:13)神の子は、友のためにいのちを捨てて栄光を受ける。「友のためにいのちを捨てる」主イエスは、「友のためにいのちを捨てる、これ以上に大きな愛はない」と言われる「愛」を弟子たち、友と呼ばれる全ての人、世界にもたらした…。主イエスは、十字架の死によって、この世界に愛を注いだ。神のいのちである愛…。主イエスは、「友のためにいのちを捨てる愛」を与えるために立ち上がった。

 「恐れるな」主イエスは、今日、私たちに向かって言う。主イエスは、死を恐れていない。愛は恐れを締め出す。愛は、死に打ち勝つ勝利。人は愛によって死に打ち勝つ。父なる神は、私たちに永遠のいのち、復活を約束している。主イエスは、永遠のいのち、復活を信じろと言う。それは、病にかからないこと、困難や苦しみに遭わないこと、死を味わわないことではない。それを越えるいのちに生きる、「友のためにいのちを捨てる愛」に生きること。私たちは、いつか必ず死ぬ。しかし、やがて必ず復活に与る。復活は、愛の完成。復活により、私たちの内に、この世界に愛が完成する。

 「さあ、彼のところへ行こう」(15)主イエスが立ち上がった時、弟子のトマスが言った。「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」(16)彼は、共に死ぬ覚悟をした。主イエスの愛に触れたのだ…。福音書記者は、この言葉を印象深く書き残す。それは、この言葉の中に、私たち主イエスの弟子の生き方の原点があると感じたからだろう…。主イエスの弟子は、共に死ぬ覚悟をする。それは、主イエスと共に生きる、「友のためにいのちを捨てる愛」を生きる覚悟…。

 今、多くの仲間たちが、世界中で闘っている。死を恐れず、いのちをかけて友のため、隣人のために…。目の前の恐れに溺れてしまうな。闘っている仲間を想い起こして祈ろう…。彼らを動かすのは、「これ以上に大きな愛はない」と言う主イエスの愛。主イエスは、今ここに居る。この世界の真ん中に立ち叫んでいる。「人がその友のためにいのちを捨てる、これ以上に大きな愛はない」

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