イエスの風 No.9

 魂が癒されると言う経験をそう頻繁に経験することはないかも知れません。それはとても不思議な経験です。上手く言葉で言い表せることではありません。でも、この心の深い所にあるもの、魂は知っていて、感じているのです。  数日前に、バンクーバーにあるリージェントカレッジを創設されたジェームズ・フーストンと言う方にお会いする機会を頂きました。何事にも遠慮がちな私は、遠目にすれ違いでもすればいいか…などと考えいたにも関わらず、周りの方々のご厚意により実現しました。 個人的に、自宅に招かれ、お茶を飲みながら、お話しする機会を頂きました。(と言っても、私は英語が全く分からずですので、一緒に居たと言う感じでしたが…)通訳付きでしたが、会話が始まった最初の一言二言で、私の心は癒され、解放されるのを味わいました。もう、頭で理解したとか、納得したとかではなく、ただ存在の中で、自分が受け入れられ、愛されていると言うことを感じたのです。  人間というのは、本当に不思議です。このような目に見えない、魂が触れられると言う経験をすることが出来るのですね。その後、いろんな話をしました(聴きました)。そして、自分の作品についてもお話しさせて頂きました。本当に幸せな時間でした。 今でもその喜び、心で感じた温かさを、何度もよみがえらせては味わっています。ずっと忘れないでいたい経験です。  そして、自分も、そんな風に人に解放や癒やしを与えることが出来る者、目の前の人に心を注ぎ、大切にする者になりたいと心から願うのです。キリスト者の証しは、言葉ではなく、人格である。そこから溢れ出るものが、神を証しするのだと言うことを実感しました。 今回頂いた旅は、私にとって魂の癒しと回復のためにあることを確信させて頂いています。私の中で、新しい旅が始まってるのですね。(前置きが長くなってごめんなさい…)

 主イエスのいのちが、あなたの内に溢れますように。主がこう言われます。「あなたは、わたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。わたしは決してあなたを離れず、またあなたを捨てない。安心して行きなさい。」

マルコの福音書1章9〜11節「心に天の声を響かせて…」  みんな幸せになりたいのです。今日、生きてて良かったと思える、そんな日々を歩みたいのです。私の人生には意味がある、価値があることを知りたいのです。普段は、それほど意識することがあるわけではないのですが、ふとした時にふわ〜っとと言うか、しみじみと言うか、心の深い所から言葉にならない思いが湧いて出ることがあります。「自分には価値があるのだろうか…。生きてていいのだろうか…。」人生の岐路に立たされ、重大な選択を迫られたりする時、大きな変化を経験したり…、挫折や痛み、苦しみを経験する時…。魂が渇く、息詰まり、虚しさで心が一杯になる…。それは、決して悪いことではありません。ちゃんと生きている証しです。一生懸命働くと疲れて眠ってしまいます。1日過ごせば、お腹が空き、喉も渇きます…。息を止めれば苦しくなります。いのちがあるから。生きているのです。  今日、天と地、世界をお造りになった神様は、あなたにいのちを与え、生かしておられます。今日、あなたは生きています。今、ここに生きている。それは素晴らしい事です。どれだけ強調してもし過ぎることはありません。もっと、もっと知らなければなりません。あなたが生きていることの素晴らしさ、いのちの尊さ、価値を…。  イエス様は、御自分のいのちの尊さ、生きていることの素晴らしさ、存在の価値を知っておられる方でした。それは、彼の人生を見れば分かります。生き方がそれを証ししています。彼の生き方を一言で言い表すことが許されるならこう言うことが出来る。イエス様ご自身が、彼と親しい者たちに語っていた言葉です。「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛は誰も持っていない」(ヨハネ15:13)彼の人生は、愛で貫かれた人生。人を愛し、いのちを与えた…。いのちの尊さ、生きていることの素晴らしさ、存在の価値を知る者は、愛に生きる。イエス様は、愛に生きた人。  イエス様が洗礼を受けられたのです。洗礼は、神に立ち返り、神と共に歩み始めること…。自分が神の子となり、新しく生まれ変わったことを経験することです。イエス様は、まさに新しい歩み、新しい出発をしようとしておられた…。イエス様に何かが始まろうとしていた…。神の子として、愛なる神に生涯をささげて、愛に生きる人生を始めようとしていた。  この時、イエス様は、どんなことを思われたのだろう…。何を感じておられたのだろう…。何かが始まると言う期待があり、同時に先の見えない不安、様々な困難や苦しみを背負わなければならないと言う重圧のようなものを感じておられたのでは…と想像するのです。イエス様には、いろんな声が聞こえて来たのではないかと思います。「あなたは、神の子としてちゃんと歩んで行けるのか?その重圧を乗り越えられるのか?あなたは、相応しくない…、もしそうなら証明できるのか?」  私たちは、日々生きていると、いろんな声が聞こえて来ます。本当に聞こえる声もあれば、聞こえない声、心の声のようなものもあります。その多くは、あなたを責める声、失望させるような声、不安に駆り立てるような声…。そして、毎日その声に追い立てられ、何とか応えようとして生きています。その声に呑み込まれ、押し潰されてしまいそうになって、もがいています。朝起きたときに、何か重い物を感じ、大きなため息をついてしまうことがあるのではないでしょうか…。何か追い立てられるような焦りを感じることがあるのではないでしょうか…。  イエス様は、私たちと同じように、日々いろんな声を聞いておられた…。けれど、イエス様が洗礼を受けられた時、神の子として歩もうとその一歩を踏み出した時、新しい声が響いて来たのです。「そして、水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に降られるのをご覧になった。そして天から声がした。」(10、11)「天が裂けた…」それはどんな光景だったのでしょう…。空が張り裂けて、その合間から目映いばかりの光が差し込んでいる…そんな光景でしょうか…。天から声が響き、聞こえて来たのです。天の父、神様の声です。イエス様に向かって響いて来た。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」(11)この声は、イエス様の魂の深い所に向けて語られた、存在に響く声です。神様は、イエス様を呼ばれた。「わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」  それは、あたかも新しいいのちが誕生した時に、その誕生を待ち望んだ者たちが語る言葉のようです。あなたが生まれた時、いや生まれる前、この世にいのちを授かった時からあなたの家族が、未だ見たこともないあなたに、そして未だ言葉も知らないあなたに向かって、何度も、何度も語りかけて来た言葉…。あなたのいのち、存在を喜ぶ声…。その言葉、声が、響き渡っていた。その声の源は天にあります。天において、神様の御許にあって、常に響き渡っている声なのです。しかし、私たちは、このような声を久しく聞いていません…。成長し、大人になるにつれて聞こえなくなってしまうかのようです…。私たちは、この声を聴きたいと飢え渇いています。この声の響きは、何処に行けば聞こえるのだろうかと探し、さまよっています。どうして聞こえないのでしょう。何処に行けば聞こえるのでしょう…。  イエス様には聞こえました。イエス様の上で天が裂け、声が響き渡りました。何故でしょうか。それは、イエス様が神様に愛される子、喜ばれる存在だったから。しかし、それだけではない。イエス様は、この神様の声を響かせ、私たちにこの声を聴かせるために立ち上がられたからなのです。イエス様が、神の子として、キリストとしての生涯を始められた時に、天が裂けて、聖霊が降り、神の声が響き渡りました…、どうしてこのようなことが起こったのか、それは、これこそが福音、人の救い、神様が私たちの人生に起こそうとしておられることだったからです。イエス様は、神の子、神様から遣わされたキリスト、救い主。神様に御自分の生涯をささげられました。神様の愛を証しするためにいのちをささげ、よみがえって、今も生きておられる。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」天に満ち溢れ、響き渡る声を、この世界に響き渡らせるために、今日も、働いておられます。信仰とは、救われるとは、日々あなたの心に天の声を響かせて生きること…。あなたの心には、どんな声が響いていますか。  今日、イエス様は、あなたのところに来て下さいました。今、ここにお立ちになって、天からの声を響かせておられます。もう二千年も昔から、この声を響かせておられます。今、ここで天が裂け、あなたの上に聖霊が降り、天からの声が響いています。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」神様の声を聴いて下さい。イエス様は、あなたの心に響かせたいのです。この声があなたの心に響き渡る時、あなたの存在に深く染みこんで行く時、あなたの人生が変わるのです。イエス様があなたの内に生きて下さる。あなたに愛が分かる。あなたの中から愛が生まれる…。  今日、天からの声が響いています。心に天からの声を響かせて、共にあなたのいのち、人生をお祝いしましょう。

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