イエスの風 No.28



 昨年のクリスマス、ある音楽家の最後の演奏を聴かせて頂く機会に巡り会いました。その日、プロの演奏家としての最後の演奏を、ご自分が一番好きな曲で締めくくられました。心震える演奏でした。今でも、その時のことを想い起こすと、胸が熱くなります。何かが終わる…、それはとても寂しいことです。でも、それは、新しい出発、始まりの時でもあります。始まりは、いつも終わりを迎え、終わりは、必ず新しい始まりを生み出します。終わった瞬間に、新しいことが始まっているのです。新しい一年です。この先がどうなるか、誰も知りません。けれど、それは全てが新しいことの証しです。心配が先立つことが多いかも知れません。でも、あまり心配しないで下さい。必ず新しい何かが始まっているのですから…。

 主イエス・キリストの愛が、あなたの心に満ち溢れますように。主がこう言われます。「あなたは、わたしの愛する子。わたしは、あなたを喜ぶ。わたしは決してあなたを離れず、またあなたを捨てない。安心して行きなさい。」


ヘブル人への手紙12章1~3節「イエスを見つめながら…」


 過ぎる一年を振り返り、また新しく始まる日々に思いを馳せるこの時期。たくさんの人が私を応援し、支えて下さったことを想い起こしています。当たり前のように、何気なく過ぎ去って来た日々のように思えますが、その一日たりとも、そのような人たちの存在無しには有り得なかったと思うのです。

 私たちの人生は、それぞれが走り手として走るマラソンのようにたとえることが出来るかも知れない。皆が、命与えられた時から、走り続けています。あなたの人生は、あなたが走らなければ、誰も代わりに走ってくれません…。私たちは、走らなければならない、どんな足取りであろうと、その足を一歩、一歩、前に出さなければならない…。遅いか、早いか、順位はどうか、どんなスタイルか、つまずくか…、そんなことは余り気にしない方がいいかも知れません。とにかく走るのです。大切なのは、あなたが走っていること、前に向かって一歩足を踏み出していること。あなたに与えられた時間を使って、あなたのレースを走る…。

 けれど、走ることは苦しい…。そして、独りきりで走り続け、走り抜くことは、本当に難しい…、いや不可能です。この世界中、どこを探しても、独りきりで人生のレースを走っている人はいないのです。一緒に走っている人、仲間がいる。もちろん、あなたの代わりに走ってくれている訳ではありません。でも一緒に走っている仲間です。同じような状況、境遇を共有しながら走っている仲間が居ることは大きな励ましです。勇気をもらいます。その道が厳しく、苦しみが大きければ大きいほど、仲間の存在は大きくなります…。さらに言うならば、走るのが苦しい時や、つまずいたり立ち止まったりした時に、仲間の存在に気付くのではないかとさえ思えます。こんな言葉を何度か聴いたことがあります。「早く行きたければ一人で行け。遠くに行きたいならみんなで行け。」とにかく独りじゃないと言うことは大きいのです。願わくば、私たちにそのような仲間が与えられ、人生のあらゆる困難や試練に耐え、乗り越える力が与えられるようにと祈ります。

 「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか。」(1新共同訳)

 この手紙を諸教会に書き送った人は、語るのです。当時、教会に集まる者、イエス様の弟子として、彼に倣いその道を歩んでいる者たちが困難の中を歩んでいた。その人たちを心配して、あなたがたは独りじゃない、仲間が居ると語る。しかも、その仲間は、目に見えない人々、先に走り抜いた人たちだと(11章参照)。あらゆる苦しみの中を通り、悩み抜いた人たちが、取り巻いていて応援している…。応援する声が響き渡っているのです。そして、その真ん中には、主イエス様がおられ、一時も目を離さず見つめて、応援しておられる。

 「信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、ご自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、ご自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。」(2、3新共同訳)

彼は想像力、いや信仰の目と耳をもって、その姿を見、声を聴き、語ったのです。

 「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(11:1新改訳)信仰は目に見えないものを確信させ、見させるものです。「信じなさい。見えないものを見なさい。聞こえない声を聴きなさい。」今目の前にあることだけを見て、信じるのではなく、今目の前に見えないものを信じて、見なさい。

 あなたは独りじゃない、仲間が居る。目に見えない仲間が、あなたを取り囲み、応援している。そして、主イエス様が、一時も目を離さずに、あなたを見つめて、応援しておられる。イエス様は、あなたを責めているのではない、あなたを慈しんで、応援しておられる。イエス様の望みは、あなたが走り抜くこと、どんなにつまずき、倒れても、もう一度立ち上がり、走り抜くことだと語るのです。

 「イエス様を見つめなさい。イエス様のことを想いなさい。」先に走り抜いた仲間たちが叫ぶ。そう、彼らもそうして来たのです。誰よりも先に走り抜き、続く者たちを見つめ、応援し続けて来られた方、イエス様の眼差しとその声に励まされた人々が言うのです。「イエス様を見つめなさい。イエス様のことを想いなさい。」信仰を持って、目に見えない仲間たちの応援の声を聴く時、イエス様の姿を見、その声を信じる時に、さらに見えてくるものがあるのです。それは、今目の前にいる人たちが仲間だと言うこと…。信仰は、新しい絆を生み出そうとしているのです。

 今日、私たちも信仰を持ちましょう。見えないものを信じましょう。見えない仲間、見えない主イエス様を見ましょう。「イエス様を見つめなさい。イエス様のことを想いなさい。」今日も私たちを取り巻き、響き渡っている声、あなたを応援する声を聴きましょう。今日、あなたを応援する声、励ます声が響いています。

「イエス様を見つめなさい。イエス様のことを想いなさい。」あなたを取り囲んでいる人たちは、みんなあなたの味方。あなたを責め、貶める人はいません。みんな、主イエス様の弟子ですから…。

 そして、その声援の真ん中におられる方は、罪人たちの反抗を忍び、十字架でいのちを捨てられた…。あなたの罪、過ちを赦し、きよめて下さる方、あなたを新しく造り変えて下さる方、あなたを立ち上がらせ、走り抜く力を与える方です。

 「イエス様を見つめなさい。イエス様のことを想いなさい。」イエス様は、今日あなたのことを見つめ、声援を送っておられる。

 「走り続けよう…。走り抜こう…。」イエス様の残された足跡を辿り、イエス様を見つめ、イエス様を想い、イエス様のように…この道を。私たちの人生を。「一緒に走り続けよう…。共に走り抜こう…。」あなたは独りじゃない。

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