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イエスの風 No,24

最終更新: 2017年12月11日

「おかえり〜」娘が帰宅すると、玄関口でいつもそう言います。こちらは、思わず「ただいま」と言ってしまう。どうして「おかえり」なんだろうかと不思議に思いますが、何となく気持ちが分からないでもありません。家に帰った時、「おかえり」と迎えてくれる誰かが居ることは嬉しいことです。自分の帰りを待ってくれている誰かがいる。それは大きな支えになります。「おかえり」の声が聞こえる所は、いつでも自分の家になるのです。

 イエス様は、私たちに「おかえり」と言ってくれる方。ただ待っているだけでなく、私たちを追いかけて、私たちの行く所、何処にでも出向いて、そこに居て、「おかえり」と言って下さる。あなたの帰りを喜んで迎え入れ、その腕に抱きしめて下さいます。神の国は、私たちの帰る場所、父なる神の「おかえり」が聞けるところ。イエス様は、今日も、御自分の身許にあなたを招いておられます。想像してみよう。あなたがどこかへ行く時、家に帰る時、「おかえり〜」と主イエス様の声が響いているのです。


 主イエス様のいのちが、あなたのうちに満ち溢れますように。主がこう言われます。「あなたは、わたしの愛する子。わたしは、あなたを喜ぶ。わたしは、決してあなたを離れず、またあなたを捨てない。安心して行きなさい。」


ルカの福音書1章46〜56節「さぁ、共に歌おう」

 最後に、心の底から歌を歌ったのはいつだろう…。湧き上がる喜びを心に抱いて歌ったのは…。

 人は、誰から教えられたのでしょう。知らぬ間に歌うことを覚え、歌い始めるのです。随分昔の話しです。ある家庭を訪ねました。そこには、当時、幼稚園に行き始めた女の子がいて、私たちが訪問した時に、歓迎のステージを披露してくれました。彼女は、♪みんな、こんにちわ〜♪と繰り返し、私たちの前で嬉しそうにオリジナルの歌を聞かせてくれた…。人は、心の内にある思いが溢れる時、歌うことがあるのです。上手い、下手の世界で計ることをしなければ、みんな歌うことが好きなのではないでしょうか。

 マリヤは歌った。神をほめたたえて賛美した。彼女は、この時10代でした。もちろん、今の10代と比べてどうこう言うことは出来ません。比べる必要もないでしょう。でも、想像するのです、今ここで10代の少女が神をほめたたえていると…。誰かに無理矢理に歌わされているのではない、けれど何かに突き動かされて、心震わせ、心から歌っている…。喜び歌っている。希望を歌っている…。

 賛美は、喜び歌うこと。私たちは歌います。教会で歌う。キリスト者が共に集まると歌います。神をほめたたえて歌うのです。賛美の歌には、不思議な力があります。歌は、聴く者に感動を与え、慰めや励ましを与える。けれど、それだけではない。それ以上に歌う者を生かす。歌う者にこそ、慰めと励まし、力を与える。いのちをもたらす。歌う者を、その歌のように生かすのです。

 「わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。」(46~48)

 「私は幸せだっ!!人は、きっと私のことを幸せ者と呼ぶ…」と彼女は歌う…。こんな風に歌える彼女は、幸せ者だと思います。何が幸せだったのだろう。私たちは考える…。彼女の身に何が起こったのか。身籠もった…。神によって、神の不思議な力によって…。でも、単純には喜べないのではないかと思う。将来結婚の約束をしている身でありながら、誰の子か分からない子を宿した。どうして、それを喜ぶことが出来るのか…。婚約破棄、律法破り故に社会から排除される…、彼女の前にある状況は、目に見えて前途多難。どこに希望があり、喜びがあるのか。目に見える状況は、危機的、苦しみと困難しか見えない…。それでどうして歌えるのか…。

 彼女は、不安にさいなまれ、現状を憂うことも出来ただろうと思う…。そのような現状に気付かなかったとは思えない…。けれど、彼女は歌った。彼女は神を見上げたのです。「力ある方が、私に大きなことをして下さいました。その御名は聖く、そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、権力のある者を王位から引き降ろされます。低い者を高く上げ、飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返されました。主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、そのしもべイスラエルをお助けになりました。私たちの先祖たち、アブラハムとその子孫に語られたとおりです。」(49~55)

 「力ある方、あわれみ深い方…」彼女は、知らされていた、自分たちを守り導いて来られた神を。そして、彼女は、信じていた。主は、あわれみをいつまでも忘れないと言うこと。自分たちにあわれみ深いお方であると…。彼女は、見える状況だけを見ることなく、見えない神を、見えない現実を見ようとした…。歴史の中でお働きになった神の御業、その物語を心に留め、それを信じた。そして、自分は、その神に選ばれ、この世界に祝福をもたらす存在として、神の物語の中に招き入れられ、生きていると信じたのです。

 いつからでしょうか。目に見えることだけが現実だと信じさせられるようになったのは…。目に見えること、今まで自分が経験し、見聞きしたこと、それが全て。自分の立てた計画、自分の想定した状況が最も正確な事実だと…。そう信じさせられて生きている。

 「私の人生は、私の手の中にある。全ては私次第…」そう言っている。自分に自信のある者は、傲慢になり、自分を膨らませ、あらゆるものを自分で支配しようとする。自分に失望した者は、生きる気力を失い、自分には価値が無いと自分の人生を諦めている…。見える現実が全て…、神は居ない、神がこの世界を導いているなんて作り話だ…。そううそぶいて、益々狭く、閉ざされた希望の無い世界、私たち自身が創りだした牢獄に囚われてしまっている。

 けれど、マリヤは歌った。「神がいる。この世界には、今も力強く導く、あわれみ深い神がいる。この方は、富む者、力ある者、思い高ぶる者を退け、弱い者、貧しい者を見捨てない方。そのようにあわれみ深い方が、私を選び、この世界に祝福をもたらし、救おうとしている。私は、神の物語の中に招かれ、生きる。私の人生は、神のストーリー。神と共に歩むストーリー。」

 マリヤは、歌った。彼女の親類で、年老いたエリサベツは、彼女に向かって聖霊に満たされてこう言った。「あなたは女の中で祝福された方」(41、42)それを聞いて歌った。そう、彼女は励まされて歌ったのです。そして、エリサベツがマリヤを励ますように導いたのは、聖霊でした。聖霊は、励まされる方。神は、マリヤを聖霊を通して励まし、歌わせようとされた。神は、人に歌を歌わせて下さるのです。

 神がいる。今日、神は語る。マリヤを選び、語りかけ、導いた神が、あなたを招く。あなたの人生は、わたしのストーリーだ。あなたは、この世界に祝福と救いをもたらす物語、歌になる。

 マリヤが歌ったように。あなたも歌うことが出来る。神は今日、あなたを歌わせようとしている。あなたが、神の歌なって、この世界に響き渡るようになる。あなたが歌う時、神を賛美する時、この世界に希望の歌が響き渡る。この世界が希望の歌に目覚めるのです。

 救い主イエス・キリストは、そのために来て下さった。天から、あなたの人生に降り来て、マリヤがその身に宿したように、あなたの魂の内にイエス・キリストは住まわれる。だから、あなたも、今日歌うことが出来る。さあ、共に歌いましょう。

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