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イエスの風 No.22

土曜日からハワイに来ています。月曜日の早朝です。日本は、月曜日の夜中…。本当に不思議な感覚です。ハワイの色は、鮮やかです。日本とは違った色彩です。昨日は、ハワイの友人が牧師をしている教会で礼拝をささげ、説教をしました。また、埼玉にいた頃から繋がっているゴスペルクワイアの方達が一緒に来てくれて、心震わせてくれる賛美の歌声を聴かせてくれました。共に礼拝をささげる中、クワイアメンバーのお一人が、聖餐式の時にイエス様の招きに応じて、信仰告白をしパンと杯に与りました。新しいいのち、神様の娘が一人誕生したのですっ!天での喜びの歓声の響きの余韻に浸っています。今回のツアーをこのためにご計画なさったお方がおられることに、驚きを隠すことが出来ません。主イエス様は、生きておられます。だから、どこに行っても、どんなことがあっても大丈夫なのです。どこも、かしこも神の国、主イエス様がおられる世界です。

主イエス様のいのちが、あなたのうちに満ち溢れますように。主がこう言われます。「あなたは、わたしの愛する子。わたしは、あなたを喜ぶ。わたしは、決してあなたを離れず、またあなたを捨てない。安心して行きなさい。」


マタイの福音書25章14〜30節「私の喜びを共に喜んでくれ」


 誰かから信頼され、評価されることは本当に嬉しいことです。誰かの役に立てることを経験できることは、生きている喜びです。人は互いに関わり合い、その中でお互いに価値あるものであることを知らされ、より人間らしくなって行く。少し想い出して見ましょう。あなたが褒められた経験。誰かの役に立てて、本当に喜びに満たされた時のこと…。

主イエス様は、たとえをお話しになりました。「天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。」(14)またここで、天の御国の様子を思い描きながらお話になっています。主人が、3人のしもべに全財産を任せて旅に出るのです。三者三様、それぞれの能力を見込んで、大切な大切な宝物を任された。それを自由に用いて活かすようにと…。天の御国と呼ばれるところは、不思議なところです。そこには、主人ではなく、主人は旅に出ていて、しもべが居て、主人の宝を用いて暮らしているのです。そんなふうにみると、主イエス様がイメージしてお話しになった天の御国は、今の私たちの暮らしのようにも思えて来ます。私たちは、神からこの世界、神が創造された、神の宝物である世界をまかされて暮らしています。それを喜び、楽しみながら、より豊かにするようにと、労苦したりしながら、日々の生活を営んでいるのです。イエス様の中では、もしかしたら、天の御国と今自分たちが生きている現実の世界に大した区別がなかったのかもしれません。両者を区別するよりは、今、ここも天の御国の一部分であると…。

この世界は、神の、そして主イエス様の大切な宝物。そして、あなたは、その宝物を預けられたしもべ…。主イエス様が、この人はと見込んだ才能あるしもべなのです。で、ここまでなら何となく良い話で終わりそうなのですが、主イエス様のたとえは、それで終らない。この後のストーリーが、私たちの心に引っかかって来る。まぁ、イエス様は、心に残る話をしようとされたので当然です。このたとえは、引っ掛かりがあるからこそ、心に響く。心に残って、何かを起こそうとする。主イエス様のことばは、いつも私たちの心、人生に何かを起こそうとしているのです。

何を起こそうとしているのでしょう。それは、神に委ねられた宝物を十二分に活かして生きること。自分が持っているものを含めた自分自身、委ねられた神の宝物を喜び、活かし、このいのちを生き切る、使い切ること…。主イエス様は、私たちに言われる。一生懸命に生きて行きなさい。今日と言う日を使いなさい。神の心にかなって生きなさい。神の心にかなって生きるとは、どう言う生き方でしょう。それは、隣人のために生きる。私たちは、自分がなぜ生きるのか、生き甲斐、生きる意味を探している。でも、そこには落とし穴がある。ただ自分のことだけを考えて、自分が満たされるためだけに生き甲斐や意味を探そうとする。使おうとするよりは、保とうとする。失うことを恐れる…。そうする時、私たちの魂は、底知れぬ渇きに囚われて行く。虚しくなる。自分のためだけに、自分で自分を満たそうとする生き方、失うことを恐れて保とうとし、貯め込もうとする生き方は、底知れない渇きと恐れに囚われる道、いのちと存在の価値を見失う滅び…。主イエス様のたとえの中でショッキングなのは、そのような姿が描かれていること。ストーリーの締めくくりの、役に立たないしもべと呼ばれ、追い出されて悲しみに暮れる姿…。私たちは、この三番目のしもべと自分を重ねて暗い気持ち、何かに追い立てられるような不安を抱える。私は、なかなかこの例え話を明るくと言うか、喜んで読むことが出来ません。もちろん、そうすべきものだと言うのでもない。むしろ、主イエス様は、ショックを与え、悩ませようとなさっている。だから、正直に読んで、そして、ちゃんと悩もうと思います。浅く解決するような、気休めの解説を付け足さないようにしたい…。

主イエス様は、私たちに何をしようとしておられるのでしょう。私たちを、怠け者の悪いしもべと呼び、外に追い出し、滅ぼそうとしておられるのでしょうか…。断じてそうではない。むしろ逆です。主イエス様は、私たちに期待をしておられる。また、滅んでいるかのような生き方をしないように励ましておられる。自分の人生を他者と比較して卑下したり、失敗して無価値になることを恐れ、人を羨み、自分の人生を恨み、悔しさと涙に暮れる日々を送ることがないように…。そのために、いのちをささげてくださった。自らのいのち、存在を代償にして下さったのです。主イエス様は、私たちの代わりに、滅びの中に身を置かれた。それは、私たちがそのような者にならないようにするため。このたとえを話されて間もなく、主イエス様は十字架におかかりになる…。主イエス様は、覚悟して話された。あなたは、滅びる者ではない。滅ぶべき者ではなく、生かされるべき者。

主イエス様は、あなたを生かしたい。大切な宝物を共有し、大いに活かし、用いて、一緒に喜びたい。あなたは、主イエス様にとって大切な宝物のような人。全てを投げ打っても生かす価値のある人。そして、あなたの人生、いのちも時間も労苦も、一切全ては、主イエス様から預けられた大切な宝物。さぁ、立ち上がりなさい。恐れることはない。あなたの人生を用いなさい。いのちを活かすのです。使うのです。祈りなさい。労苦しなさい。神のため、家族のため、友のため、今日出会う人のために。主イエス様の喜びは、あなたが喜んで、委ねられた宝物、いのち、時間、労苦を使い切ること。あなたが喜んで、人生を使い切っている姿を見ること。主イエス様は、ご自分の宝物が豊かに用いられるのを見たいのです。主イエス様の宝物は、それほどの価値がある。あなたこそが、その宝物。

今日の1日、全ての労苦、あなたの人生を、主イエス様に頂いたものとして生きる、主イエス様にささげ、誰かのために使われる今日、主イエス様の声が聞こえてくるのです。

「よくやった。良い忠実なしもべだ。主人の喜びをともに喜んでくれ。」



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