イエスの風 No.20

 関西ツアーも半ばを過ぎ、あと一週間ほどで終わります。今回の旅は、台風と一緒にまわっているような感じです。こんなに雨に降られるとは…。もうちょっと、色んな所をまわってスケッチとかしたかったのですが、未だに願いは叶わずです。けれど、自宅にて絵を描いている母と、絵を描くことについて色んな話をし、共に彼女の作品を前にあーだこうだと手直しのアドバイスをしたり、悩んでみたりと、今までにはい経験をさせてもらっています。何とも言葉では表せませんが、結構楽しんでいます。ああ〜自分も作品制作に集中したいです…。

 主イエスのいのちが、あなたの内に溢れますように。主がこう言われます。「あなたは、わたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。わたしは決してあなたを離れず、またあなたを捨てない。安心して行きなさい。」  どうか、台風の雨風で苦しむ人たちが護られますように。

マタイの福音書22章34〜40節「愛することは難しい…」

 愛することは、何と難しいことでしょうか…。神を愛すること、自分を愛すること、そして隣人を愛すること…。今日に至るまでの数日を振り返り、そして、さらに数年、生きて来た道のりを振り返って見る時に、どれだけ愛して来たと言うことが出来るのだろうか…。自分の道は、自分が一番良く知っています。愛することへの憧れがあります。魂は飢え渇き、さまよっています。けれど、そう簡単に「愛することが出来るようになったっ!」などと言うことが出来ないのです。それどころか、愛することが何かを知らないのです…。  愛するとは、一体何でしょう。どういうことなのでしょう…。それは、人間として生きること。神のかたちに生きること。私たちは、神に似せて、神のかたちに創られたのです。神は、愛です。そして、神のかたちに生きることは、愛に生きることです。愛するとは、神のかたちに創られた人間として生きること…。  律法の専門家が、イエス様のもとにやって来て、尋ねました。「先生。律法の中で、大切な戒めはどれですか。」(36)律法、それは人間の物語、神が共に歩もうと招かれた人間の物語。神を愛し、人を愛する道を知らされつつ、離れて行き、失敗を重ねて来た人の物語と言う一面があるのです。そして、戒めは、神のかたちに生きる道。人間として生きる道。律法の専門家は、どうしてこんなことをイエス様に尋ねたのだろう…。もうすでに知られていることなのではないだろうか…。  当然の答えがイエス様の口から聞こえて来た。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」(37~40)  知らない人は居なかったのではないだろうか…。なぜ分かりきった答えを尋ねたのだろう…。質問した側の意図が全く分からない。試そうとしたと言う割には、余りにも簡単に答えられてしまうというか、試したことにならないように思えるような質問…。もしかしたら、この人の深い所に何か飢え渇きのようなものがあったのかも知れない…。理想と現実の狭間に悩んでいた…。自分たちの現実の姿、神から示される道から離れてしまい、神のかたちと似ても似つかぬ現実。痛みと苦しみの日々…。何だろうか…、どうしたらいいのだろうか…、そのような魂の深い所の叫びが、本人が意識しないまでも、このような質問を生み出したのではないだろうか。私たちは、どうしたら良いのか。どう生きるべきなのか…。何か新しい道、画期的な方法があるのだろうか…。  私たちは、いつも新しい道を探しています。画期的で、効果的な方法を求めているのです。こうすれば必ず上手く行く、成功すると言う何かを…。そして、次から次へと新しい方法論が生み出され、そして廃れて行くのです。  けれども、イエス様は、そんな質問に対して、在り来たりの、すでに知られている答えをなさるのです。律法学者は、何度も聞いてきた言葉です。私たちもすでに何度も聞かされて来た言葉です。けれど、何度も、何度も、この言葉の前に膝をつき、うなだれて来たのです。失敗を繰り返して来ました。「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」この言葉を聴く度に、はっとさせられ、目覚めさせられるのです。けれど、なかなか上手く行かない…。しばらく歩くと、躓いてしまう…。離れてしまう。忘れてしまう…。  私は、この言葉が大好きです。この言葉に何度も救われて来ました。生きる指針と力を見出して来ました。けれども、何度もこの言葉に刺され、言い訳をし、躓き、倒されても来ました…。  イエス様は、この言葉をストレートに、何の解釈も加えず、水増ししたり、省いたりせずにお語りになります。一度ならず、何度も繰り返して語られるのです。どうしてでしょう。それは、信じておられるからです。あなたを信じておられる。あなたが、この言葉の通りに生きるようになると…。  律法と預言者、聖書が語るのです。神と人の回復の物語が語るのです。神のかたちに創られ、そのかたちを回復するために人を招き、共に歩まれる神が、忍耐の限りを尽くして人と共に歩み続けられることを…。限りない、無限の愛で人を救われると言うことを。「神を愛し、人を愛する」神のかたちに回復して行くために、神はあなたを招かれたのです。御自分の御許に引き寄せられるのです。  イエス様は、この戒めのために、御自分のいのちをかけて下さいました。「神を愛し、人を愛せ」と言われた方は、その言葉の通りを生きられた。私たちに、完全な愛、神のかたちを現し、見せて下さいました。そして、この愛をあなたに与え、あなたにこの戒めが実現すると約束して下さっているのです。あなたは、愛する者に変えられる。神のかたちに生きるようになる。神に創られた人に成るのです。だから、イエス様は、何度も、何度も、そして今日も、あなたに言われるのです。  「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」  イエス様の言葉は、今日あなたのいのちです。それは、生きて働き、やがてあなたは神のかたちに輝くようになるのです。

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