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イエスの風 No,73

 暑い夏がやって来ました…。朝のアルバイトは、虫除けに長袖、長ズボン、長靴、マスクをしながら掃除をします。水浴びをしているかのように、気持ちいいくらいに汗をかきます。水分補給をしながら2時間ほど働きます。きれいに仕上がった庭を見て満足し、清々しい気持ちになります。逆に、この時間がないと、調子が狂うというか、スッキリしません。しんどいですが、嫌いじゃありません。性に合っているのでしょうかね。掃除をしながら、色んな事を考えます。本当に色んな事です…。そして、色んな事に気付かされます。部屋に籠もり、机に向かって集中して考え事をする時よりも、こう言う時の方が良い気付きが与えられるようです。不思議ですね…。こんな風に書くと、僕が思慮深い人間であるかのように思う人がいるかも知れません(?)。でも、いつも深く考え事をしている訳ではありません。普段は、今日のお昼ご飯やおやつは何にしよう…と言うことです。それって大切なことだと思いませんか。

 今日、美味しい出会いがありますように。(写真は、今日のお昼ではありません…)


マタイによる福音14章13~21節「5つのパンと2匹の魚」


主イエスは、御許にやって来る者を御覧になり、深く憐れんで下さる。「憐れみ」それは、苦しむ者と共に苦しみ、泣く者と共に泣き、貧しさを味わい、病み、傷つくこと…。主イエスは、私たちの哀しみ、痛み、苦しみ、悩み…を知っている。私たちの内に居られ、涙し、呻き、嘆息する…。

主イエスは、私たちを御覧になり、深く憐れむ。あなたの憂いは何か…。あなたを悩ませ、心を曇らせることは…。何が、あなたの魂を煩わせているのだろうか。主イエスは、それを知っている。私たちが知らない、私たちの現実を御覧になり、深く憐れむ。羊飼いの居ない羊の群れのように、憐れみ深い方を見失い、さ迷う私たち。私たちは、自分が思っている以上に、痛み、傷つき、病んでいる…。弱肉強食…、自分が生き残る為に、他人を蹴落とさなければならないと信じさせられ…。憐れみ、分かち合う心を失い、孤独の闇を抱え…。生きる喜び、希望を生み出すはずの交わりが、人を悩ませ、苦しめるようになっている…。主イエスは今日、私たちを御覧になり、私たちが生きている社会を見て、深く憐れんでおられる…。

「ここは人里離れたところですし、時刻ももう遅くなっています。村に行って自分たちで食べ物を買うことができるように、群衆を解散させてください。」(15)主イエスの弟子たちが、言った。主イエスは、御許に集まって来た人々を憐れみ、病を抱えた者たちを癒しておられた。日が暮れ始めた。弟子たちは思った。この人たちの世話をするのには限界がある…。彼らは、5つのパンと2匹の魚しか持っていなかった。自分たちで食べるにも足りない…。けれど、主イエスは言った。「彼らが行く必要はありません。あなたがたがあの人たちに食べる物をあげなさい。」(16)5000人を超える人々に、12人が、5つのパンと2匹の魚で…。主イエスは、「わたしが彼らに食事を与えよう」と言わない。「あなたがたがあの人たちに食べる物をあげなさい」主イエスは、拘っておられた。弟子たちが、人々の食事の世話をすることに。ご自分が人々を満たすのではなく、「あなたがたが…」あくまで、弟子たちが、人々を満たすのだと…。

「あなたがたが、5つのパンと2匹の魚で…」驚くことが起こる。主イエスが神をほめたたえ、パンを裂き、弟子たちが配ると5000人以上の人たちが満腹し、12のかご一杯のパン切れが余った…。「あなたがたが、5つのパンと2匹の魚で…」12人の弟子たちが、自分たちにとっても貧しいと思える、5つのパンと2匹の魚で、人々を満たした。人々を満たしたのは、誰か…。私たちは、主イエスが人々を満たしたと考えるかも知れない。しかし、主イエスは、「わたしと弟子たちで満たした。」と言われる。主イエスは、5つのパンと2匹の魚を祝福した。しかし、弟子たちが、それを差し出し、配った。「あなたがたが…」弟子たちが居なければ、奇跡は起こらない。彼らが差し出し、給仕しなければ…。

主イエスは、憐れみの故に奇跡を起こす。奇跡は、主イエスの憐れみの泉。憐れみが溢れ、流れ出し、奇跡となる。主イエスは、憐れみの泉の中に私たちを招く。私たちが、主イエスの憐れみとなり、世界を憐れみに満ちた神の国にしようとしている。

「天の父の如く憐れみ深く生きる」主イエスの弟子、彼の傍らに居る者たちは知っている。「憐れみ深く生きる」は、主イエスのいのち、主イエスの眼差し。私たちは、主イエスの弟子、「憐れみ深く生きる」ことに憧れて生きるようになった。私たちは、主イエスの手の中にある5つのパン2匹の魚…。あなたを通して世界を憐れみ、満たそうとしている。

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