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イエスの風 No,70

 まだまだ落ち着きのない日々を過ごしています…。けれど、最初は違和感を感じていたことが、当たり前に感じるようになっていたりします。不思議です。神に創造されたもの(自然)は、絶えず変化します。そのように造られたのです。変化する日々の中、その時節に相応しく存在しています。花を咲かせる時があれば、実を結び、葉を散らし、枯れ木になる時がある。どれが善いか、悪いか、などと決めることなく…。ただあるがまま、現在(いま)に存在しているのです。

 「あの頃は善かった…。どうして今はこんなことになっている?」などと、色んな物事に善し悪しを決めて暮らしていると疲れてしまいます。私たちは、現在(いま)にしか生きることが出来ません。「あの頃(過去)」、「もし(未来)」は、私たちにとって蜃気楼のようなものです。そして、私たちは、何事に対しても、究極的に善し悪しを決めることが許されていません。それは、神のものだからです。

 なんと驚くことに、神は、ご自分が創造されたものを、それで義しとし、愛でておられる。神は、現在(いま)を大切にし、愛でておられるのです。これを受け入れ、理解することは、人知を越えた神の助けがなくては出来ないのです。神の前にひざまずいて、「主よ。あわれみたまえ。」と祈るしかないのです。

ヨハネによる福音3章16~18節「神は世界を愛された」

今日、神はこの世界を愛している。愛は、いのちを与え、生かすこと…。いのちが在ること。今、ここに溢れるいのちの営み…。それは、決して派手では無く、地味で目立たない。密かに行われる。神はそのような営みの中に、愛を潜ませた…。愛は、静かで、密かな業。愛は、あまりにも当たり前で、日常の中に埋もれ、見えなくなっているように思う…。しかし、そうではない。実は、私たちの心が鈍く、曇り、歪んでしまい、分からなくなっているのだ…。

私たちは、神が世界を愛していることを知らない…。「神が世界を愛していることは本当なのか…。この世界には、苦しみがある。悪がある。そこで傷つき、痛んでいる人が居るのに…。」私の心は、神がこの世界を愛しておられると聞いて、こう返してしまう。「神が愛しているのなら、どうして…」

けれど、逆にこう問い直してみよう。「神がこの世界を愛していないなら…」神が愛さない世界を想像することが出来るだろうか…。愛がいのちなら、いのちの営みなら、愛が失われると言うことは、いのちが絶えてしまうことだろう…。そうなれば、苦しみもなければ、悪もないだろう。何も存在しないのだから。こんな不毛な議論を尽くして何になるだろうか…。愛を疑っても、そこには何も生まれない。そこから、新しい希望、いのち、愛が生まれることはない。

「信じなさい」神は、私たちに挑戦しておられる。「愛を信じることから始めなさい」確かめるよりも先に、「神は世を愛している」と信じることから始めなさい。どうやって、どのようにして信じることから始めることが出来るのか…。それは、簡単なことではない…。どうすれば、私たちは信じることが出来るのだろう…。

主イエスを見なさい。主イエスが来て下さった。主イエスが愛となり、神のいのちとなって来て下さった…。今、ここに来て下さった。今、この言葉を聴いているあなたの所に…。主イエスの御許に来て、神の子が上げられた姿(14、15)、十字架につかれた姿を見上げなさい。

主イエスは、悪の只中で、憎しみと妬みが引き起こす人の怒りの渦の中、荒れ狂う罪のさばきの嵐を引き受け、いのちをささげた。「神は世界を愛している」このことばが生きていることを示された。「神は世界を愛している」この世界がどんなに悪に満ち、苦しみの波が追い迫っても。罪の闇に覆われても。「神は世界を愛している」

私たちは知っている。神がこの世界を愛していることを…。憎しみと暴力の炎が燃えさかる中で、赦しに立ち返り、愛に立ち上がる人が居る。苦しみ、貧しさの底で、隣人といのちを分かち合う人が居る。主イエスが始めた愛を受け継いでいる人が居る。私たちの知らない所で、主イエスを生きる人が居る。今、この言葉に耳を傾けるあなたが居る。あなたは、愛を信じ、愛に生きようとしているのではないか…。愛に生きる故に、苦しみ、悩むのではないか。心煩わせながら、このどうしようもない困難を抱える中で祈るのではないか。

主イエスは、この世界を、愛がないと断罪し、滅ぼすために来たのではない。愛を注ぎ、いのちをもたらすため、救うために来た…。「ここには、愛がない…」と言う私たちに、「ここに愛がある」と言わせるために来た。これは、私たちにとって大きな挑戦…。神が、私たちに愛をもって迫って来られた。「それでも、ここに愛がある。神は、世界を愛している。」十字架につけられた主イエスの姿が、私たちに愛を語っている。「主イエスを信じなさい。愛を信じなさい。」主イエスを信じる者は、主イエスを生きる。愛を信じる者は、愛を生きる。

十字架に上げられ、愛を貫かれた主イエスは今日、ご自分のいのちと引き替えに、私たちをご自分の許に招いている。信じないで、罪の暗闇の中に留まるのを止め、愛の光に照らされて生きなさい。罪の闇があり、悪が力をふるう世界の中で、私たちは、苦しみ、傷つき、痛み、倒れる…。それでも、愛を貫いて勝利された主イエスを信じて、愛をいのちにして生きよう。

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