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イエスの風 No,68

 私が普段仕事をしている部屋は、北側にあります。そこに閉じ籠もって作業を続けていると、外の様子が分からないままで居ることがあります。何となく薄暗く、曇り空のように感じていたけれど、一歩外に出ると晴れて清々しい空が広がっている…、時々そんなことを経験します。今は、新緑が眩しく、着る物は半袖になり、すっかり季節が変わってしまっていました。けれど、私たちの心はまだ閉じ籠もった生活を始める前のままであるかのようです…。

 私たちは、見るものに影響されて生きています。見るものが全てであるかのように信じてしまいがちです。でも、私たちは何を見ているのでしょう…。どうか、神様が私たちの目を開いて下さいますように。見るべきものへと導いて下さいますように。





ヨハネによる福音14章1~14節「心を騒がせるな」

「あなたがたは心を騒がせてはなりません。」私たちの心は騒いでいる…。だから今日もイエスは、私たちに向かって言われる。「神を信じ、わたしを信じなさい…」

 イエスに死が迫り、弟子たちには、想像も出来ない試練が待ち受けていた…。イエスは、それを知りつつ、嵐の中で、しっかりと立って居た。恐れや痛みはあった…。けれど、行く先を真っ直ぐに見据え、自分の道から目を逸らさず進んで行こうとした。イエスは、十字架、死に向かっていた…。しかし、イエスが見ていたのは、死ではない。その先にあるもの、彼の死が意味するところ、彼が死を通してもたらそうとしていたこと…。父の家に行き、彼らのために場所を備え、迎え、共に居るようにすること… (2、3)。

「わたしがどこに行くのか、その道をあなたがたは知っている。」(4)イエスが言った時、弟子のトマスが応えた。「主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうしたら、その道を知ることができるでしょうか。」(5) イエスが行こうとする道、しようとしていることは何なのか…。「私たちには分かりません」信仰者は、全てが分かり、納得してその歩を始めるのではなく、分からないなりに信じて歩み始める…。未だに分からないことがたくさんある…。しかし、私たちは、イエスに「分かりません…」と言うことが出来る。その問いをぶつける時、イエスは、更なる深みをもって答えてくれる…。

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになります。今から父を知るのです。いや、すでにあなたがたは父を見た。」(6、7)トマスが、真っ直ぐにイエスに尋ねた時、イエスは答えてくれた。イエスは、彼らを父に会わせようとしていた。イエスは、私たちが父に出会う道、神を知る、すなわち神と共に生きるようにして下さる方…。イエスは、私たちに言われる。「あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から父を知るのだ。いや、すでにあなたがたは父を見た。」

「あなたがたは父を見た。」と聞いて、弟子のピリポが応えた。「主よ、私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」(8)イエスと弟子たちのやりとりが次第に深まり、核心に迫って行く…。私たちは、この会話の中に引き込まれ、弟子たちに混じって声を上げる。「主よ、私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」

「こんなに長い間、あなたがたと一緒にいるのに、わたしを知らないのか。わたしを見た人は、父を見た。~わたしが父のうちにいて、父がわたしのうちにおられることを信じていないのか。わたしがあなたがたに言うことばは、自分から話しているのではない。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざを行っておられるのだ。わたしが父のうちにいて、父がわたしのうちにおられると、わたしが言うのを信じなさい。信じられないのなら、わざのゆえに信じなさい。」(9~10)

イエスは、言う。「信じなさい」イエスを見ること…、それは彼のことばを聴き、彼に祈り、彼を愛し、彼を信じること。イエスを信じることは、父を見ること…。父のことばを聴き、父に祈り、父を愛し、父を信じること。イエスを信じることは、父に出会う経験。イエスを信じる私たちは、父と会っている。イエスは、ご自分の内に父を持って私たちのところに降り、父と会わせて下さる。私たちは今、ここで、父と会い、共に生きる。「あなたがたは、すでに父を見ている。」

イエスは、ご自分のいのちと引き替えに、父と共に生きるいのちを約束して下さった。「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行う。~わたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは、何でもそれをしてあげる。~あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしがそれをする。」(12~14)父と共に生きるいのち、イエスのわざ、彼よりも大きなわざを行う…。イエスのわざ…、それは愛。愛は、父のみもとに行き、父と会い、共に生きる時に生まれるいのち…(1ヨハネ4:7)。私たちは、イエスのわざを行う、愛に生きる、父と共に居るイエスが生きるように生きる。イエスは、道、真理、いのち、…父との出会い、父と共に生きる家。私たちを、嵐の中で、愛に目覚めさせ、生かす方。イエスは、今日、私たちのうちに生きておられるのです。

「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」

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