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執筆者の写真じょ〜じ

イエスの風 No,62

 大きな作品がいよいよ完成しました。仕上げをして、額を注文しました。3月には納品する予定です。先日、作品の注文を受けていた保育園の音楽会が行われると聞いて、出かけました。一生懸命に楽器を演奏し、讃美歌を歌う子どもたちの姿に心が洗われる思いがしました。彼らは、ただ在るがままに愛されるとき、それを受けて喜び、輝く…。本当に素直です。そこに愛があるかどうかを映し出す鏡のような存在ですね…。どうか、彼らの周りに居る私たちが愛の中を豊かに生きることが出来ますように。彼らが、愛と平和の内に過ごすことが出来ますように。そんな祈りが心の中に生まれて来ました。

 どうか祝福がありますように。

ヨハネによる福音1章29~34節「見よ、神の子羊…」


 今日という日が訪れる。私たちの知らない今日…。新しい一日、私たちは、毎日この新しさを経験している。それを、この目で見、肌で感じている。今ここで、今日一日に経験する全ての出来事、味わう感覚は、昨日の繰り返しではない。それは、新しい事。私たちは今、「日々新しくする」(2コリ4:16)と言われる神の御業と出会い、経験しているのです。深呼吸し、朝日を浴びるときに、何か新しい感覚を味わうことがある。新鮮な気持ちになり、リニューアルした気分になる…。そのような経験が私たちにもたらそうとしているのは、神の御業の新しさへの気付き…。

 私たちは今日、新しい日を迎えている。神が新しい御業を起こしておられる。神は今日、あなたに新しい息を吹き込もうとしている。新鮮ないのちの息吹を吸わせ、古くよどんだ息を吐き出させ…、あなたを生き返らせようとしている。神の霊、神のいのちによって生かそうとしている。

「見よ」ヨルダン川で洗礼を授けていたヨハネが言った。自分に近づいて来る人、イエス様を指さして…。イエス様を見よ。世の罪を取り除く神の子羊。罪を取り除き、聖霊による洗礼を授けるために近づいて来る…。

ヨハネは、知らされた。「霊が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である。」(33)そして、見た。イエス様に天からの霊が鳩のように降り、とどまるのを…。そして、確信した。「この方こそ神の子である」ヨハネは、イエス様を見て、神が新しいことを始められたことを知った。イエス様に、神の新しい御業を感じた…。

 だから、ヨハネは周りにいる者たちに言った。「見よ」この方が、自分だけを訪ねて来られたのではなく、全ての人を訪ね、近づこうとしておられたから。ヨハネは、そのために証しした。「見よ」この方を迎えるために準備しなさい。心を開き、迎えなさい…。この方は、あなたがたの罪を取り除き、聖霊を授けて下さる。

 聖霊は、神の息吹、神による新しいいのち。聖霊は、私たちの内にとどまり、神の息吹で呼吸し、生かしてくれる。聖霊は、私たちの内に新しい心を呼び覚まし、今日が昨日の繰り返し、罪に引きずられた過去の呪いに縛られた一日ではないことに気付かせてくれる。今日を新しく生きることが出来るように支えてくれる。聖霊は、私たちに愛を想い起こさせ、希望を生み出させる。聖霊は、私たちを「愛する子」と呼ばれる、神の子にする。神の子であることに気付かせてくれる…。

 イエス様は、十字架につけられて死に、3日目によみがえられた時、弟子たちを訪ね、彼らに息を吹きかけてこう言われた。「聖霊を受けなさい。あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦される。赦さずに残すなら、そのまま残る。」(20:22、23)この時から、弟子たちに新しいいのちの呼吸が始まった…。これが聖霊による洗礼。神の息吹によって始まる新しい呼吸のいのち。愛し、赦すイエスの息吹。

 「見よ。世の罪を取り除く神の子羊。〜聖霊によるバプテスマを授ける者。」

 ヨハネが指さして言いました。「見よ」イエス様が訪ねてくる…。私を目指して歩いて来る。イエス様が、あなたを訪ね来て、聖霊の息吹をもって、私たちの新しい一日となって、共に歩いて下さるのです。

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