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イエスの風 No,48

最終更新: 2019年12月7日


 ある朝、アルバイトで幼稚園の庭掃除をしている時、地面に不思議な模様が付いているのに気付きました。何だろうと近づいて見ると、どうやら庭先にエサを食べに来た鳥の足跡のようです。一体何の鳥だろうかと思っていると、雉鳩が現れ、一生懸命に地面を啄んでいました。あまり人を気にせずに居るので、とても可愛らしく思い。それ以来、毎朝の楽しみになっています。園庭に来る雉鳩を見ると、訳もなく嬉しくなるのです。

 空の鳥を養って下さる、私たちの優しい父なる神が、私たちを大切して下さいます。私たちに目を注ぎ、見守って下さっているのです。あなたは、大切な人です。

 「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。安心して行きなさい。」


ルカの福音3章1~6節「人は皆、神の救いを見る」


 クリスマスの祭りが近づき、周囲は賑やかになっています。彩り鮮やかに飾られた街、流れる音楽…、どこも明るい光に満ちているようです。でも、そのように明るく振る舞う中、何か違和感のようなものを感じる。手放しにお祝いムードに身を委ねることが出来ない…。クリスマスの飾りは、しばらくすれば仕舞われてしまい、また来年…。そして、いつもの日々が戻って来る…。楽しいとは思えない日々、労苦に追われ、心配が尽きない毎日が…。

 だからと言って、お祝いを止めるとか言うことではないと思う。やっぱり、周囲を飾り、お祝いするべきなのだろうと…。暗い部屋に明かりを灯すように、私たちの日々に光を照らす必要がある。暗いからこそ、闇があるからこそ、光を灯す必要がある。でも、どんな光を照らすかは考えて見てもいいのかも知れない…。


 今、私たちの世界を見渡す時、神様が沈黙しておられる…。そう感じることがある。自分たちが闇の中に放っておかれているように感じることが…。日々の中、私たちの目に飛び込み、耳に流れて来る知らせが、神様の声に勝り、それをかき消してしまっているかのように感じる。神様が沈黙し、身を潜め、隠れておられるように思う…。


 救い主の誕生が知らされた日、輝く光の中で天使の歌声が響いた夜から30年近い月日が流れていた。相変わらず、世界は変わり映えしないまま…。神を知らぬ時の権力者が、我がもの顔に世界を治めていた。貧しい者は、貧しいまま、苦しみを負い続けていた。神様が治めるのとは程遠い様子だった…。


 けれど、神様が沈黙を破られた。「神の言葉が荒野でザカリヤの子ヨハネに臨んだ。」(2)

 神様が、沈黙を破り、語り始めた。荒野で…。神不在の場所とされる荒野、宮廷や政治の行われる場所、礼拝が行われる神殿ではなく、最も神様が居られないとされる荒野で。時の権力者や祭司の口からではなく、ひとりの名も知られぬ男に…。


 神様が沈黙を破った。語り始めた。「悔い改めよ、神の国は近づいた」ヨハネは、罪の赦しを得させるために、悔い改めの洗礼、すなわち神に立ち返ることを表す洗礼を宣べ伝え、ヨルダン川で、集まって来た人たちに洗礼を授けた。罪の赦し、それは悔い改めること、神と共に生きること。神を人生に迎え、神と共に生き始めること。


 神と共に生きること、それが救い。人が救われると言うこと。神が共に居られる。神が、私たちと共に生きて下さる。神があなたの慰めとなり、人生の光となって下さる。喜びとなって下さる…。それは、苦しみや悩みが無くなり、人生に目映い光が差し、明るく朗らかに生きる事が出来るようになると言うことと少し違うかも知れない…。光に照らされるより、自らが光となって照らし、生きるようになる…。神様が、私たちの中に住まわれ、内側から光を放って下さる。私たち自身が、神様の光の灯火になる…。


 神様の言葉を受け取り、荒野で語ったヨハネの姿は、まさに神様の灯火のようだった。その様子を福音書記者は、預言者イザヤの言葉を用いて表した。「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこ道は平らになり、人は皆、神の救いを見る。』」(4~6)ヨハネの語る姿は、彼を見た人々に神の救いを見せていた。神様が沈黙を破られた。新しいこと、救いが始まった。救いの道が整えられている。愛と希望の時代、神の国が始まり、私たちの直中に来ようとしていると…。


 神様が、ヨハネを通して叫び始めた。荒野、神様が居ないとされる場所で…。全ての沈黙を破り、私たちの救いを叫び始めた。「人は皆、神の救いを見る」もう神様は、沈黙しておられない…。救いを叫んでおられる。道は備えられている。救い主イエス様が来られたのです。彼はこう言われた。「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した。」(ルカ4:18、19、21)イエス様は、人々の中に住まわれた時、貧しい者や病む者を癒し、慰めと力をお与えになった。神の愛を余すところなく示された。十字架で苦しまれ、死んで墓に葬られ、三日目に死を打ち破りよみがえって下さった。まさに、その地上を歩まれた姿をもって、神の救い、神の国の到来を見せて下さった…。イエス様は、ご自分が神の救い、救いの道、真理、いのちであると言われた。そして、今日、私たちの中に住まわれ、神の光となって輝いて下さる。


 イエス様は、私たちを神のことば、救い、光として下さる。私たちが、この世界の沈黙を破り、荒野で神の言葉を語る。あなたが救いの光となって、この世界の暗闇に光を灯すのです…。

 悔い改めよう。もう一度、神様に立ち返ろう…。神様のことばを信じよう。救いを信じよう。イエス様がこの世界に、小さく、貧しい者に、病の苦しみの中に、生き辛さの中に、クリスマスの賑やかさの中で片隅に追いやられてしまった人々を訪ねて下さり、希望の光を下さると…。イエス様を心に迎えよう。イエス様に祈ろう…。


「 *ちいさなひとびとの ひとりひとりをみまもろう

  ひとりひとりのなかに キリストはいる  貧しい人が飢えている 貧しい人が渇いている  国を出た人に家がなく 寒い冬には着物がない  *ちいさなひとびとの ひとりひとりをみまもろう ひとりひとりのなかに キリストはいる  病気の人が苦しみ 牢獄の人は蔑まれ  みなしごたちは寂しく 捨てられた人に友がない  *ちいさなひとびとの ひとりひとりをみまもろう ひとりひとりのなかに キリストはいる 」

                 (典礼聖歌400番)

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